「である」はどこから来たのか——言文一致運動と近代日本語の発明

「書き言葉」は最初から存在したわけではない

私たちが今、当たり前のように使っている「〜だ」「〜である」「〜です」で終わる文章は、実はたかだか150年ほど前に「発明」されたものである。江戸時代までの書き言葉は、話し言葉とはまったく別の体系を持つ「文語(候文・雅文体)」であり、話すように書くという発想自体が存在しなかった。武士が手紙を書くときは「〜候(そうろう)」、学者が文章を書くときは古典的な雅文調を用いる。つまり日本語には長らく「二つの言語」が並走していたのである。

速記という技術革命

この状況を変えたきっかけの一つが、明治初期に輸入された「速記術」だった。1884年頃、落語家・三遊亭円朝の高座を速記者が一言一句書き起こし、それが活字となって出版されると人々は驚いた。話し言葉をそのまま文字にしても、立派に読み物として成立する——この事実が、後に「言文一致運動」と呼ばれる文体改革の直接の引き金になったと言われている。つまり近代日本語の文体は、文学者の机上の発明ではなく、寄席という庶民の娯楽空間から逆輸入される形で生まれたのだ。

二葉亭四迷の孤独な実験

この速記本に衝撃を受けた一人が、若き作家・二葉亭四迷である。彼は坪内逍遥に相談し、円朝の語り口を参考にしながら「だ」体で小説を書くという実験に踏み切った。当時の文壇からは「下品だ」「文学ではない」と酷評されたというが、この試みがなければ、夏目漱石や森鷗外らが後に洗練させていく近代小説の文体は生まれなかった可能性が高い。言文一致は最初から「正しい国語改革」として歓迎されたのではなく、むしろ異端の実験として、批判の中から少しずつ市民権を得ていったという経緯こそが興味深い。

辞書編纂という静かなインフラ整備

文体の実験と並行して進んだのが、近代的な国語辞典の編纂である。大槻文彦は約17年の歳月をかけて日本初の近代的国語辞典『言海』を完成させた。単に語を集めるだけでなく、日本語の文法体系そのものを一から整理し直す必要があったため、これは辞書編纂というより「日本語という言語そのものの設計図を描く」に近い仕事だった。言文一致が「新しい書き方」を生み出す運動だったとすれば、辞書編纂は「その新しい言葉を支える土台」を作る、地味だが不可欠な事業だったといえる。

独自の視点——言文一致は一度きりの出来事ではない

興味深いのは、話し言葉と書き言葉の距離を縮めようとする運動が、実は明治期だけの現象ではないという点だ。戦後の当用漢字・現代仮名遣いの制定、そして現代のSNSやチャットでの「話すように書く」文章文化は、規模も背景もまったく異なるが、構造としては同じ問題——「どこまで話し言葉を書き言葉に取り込んでよいか」という問いに向き合っている。言文一致運動を単なる文学史上の一エピソードとしてではなく、日本語が生きている限り繰り返される「更新作業」の最初の大規模な事例として捉え直すと、私たちが日常でLINEに打ち込む文章もまた、この長い実験の延長線上にあることが見えてくる。

参考にした漫画・アニメ

  • 文豪ストレイドッグス:夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、中原中也といった実在の近代文学者たちが、それぞれの代表作にちなんだ異能力を操るという設定のバトル漫画。個々の作家の史実や作風を下敷きにしたキャラクター造形が特徴で、言文一致以降の近代文学がどのように「個性」として認識されてきたかを、フィクションを通して逆照射している構成が興味深い。
  • 舟を編む:出版社の辞書編集部を舞台に、新しい国語辞典『大渡海』の完成を目指す編集者たちの十数年に及ぶ地道な作業を描く物語。見出し語の選定や語釈の一字一句をめぐる議論の描写は、大槻文彦による『言海』編纂の苦闘と重なる部分が多く、辞書という「静かなインフラ」がどれほどの労力の上に成り立っているかを実感させる。
  • 昭和元禄落語心中:昭和期の落語家たちの芸と人生を描いた作品で、高座での「語り」そのものが物語の核となっている。三遊亭円朝の速記本が言文一致運動の引き金になったように、この作品も「話し言葉としての芸」が持つ文学性・記録性の重さを、演者たちの生き様を通じて浮かび上がらせている。

もっと学びたい方へ

  • 日本語の歴史(山口仲美):古代から現代までの日本語の変遷を一般向けにわかりやすく解説した新書。言文一致運動の位置づけを日本語史全体の中で俯瞰できる、最初の一冊として最適。
  • 百年前の日本語 書きことばが揺れた時代(今野真二):明治・大正期の書き言葉がどのように「揺れ」ながら現代の日本語に近づいていったかを、具体的な文献をもとに丹念にたどる一冊。言文一致運動をより専門的に掘り下げたい読者向け。
  • 言葉の海へ(高田宏):日本初の近代的国語辞典『言海』を編纂した大槻文彦の生涯を描いたノンフィクション。大宅壮一ノンフィクション賞受賞作で、『舟を編む』の背景にある史実を知る上でも読み応えがある。
  • 舟を編む(三浦しをん):辞書編集部を舞台にした本屋大賞受賞の小説。国語や辞書編纂に関心を持つきっかけとして読みやすく、専門的なテーマを物語として楽しく理解できる。
  • 浮雲(二葉亭四迷):言文一致体で書かれた日本近代小説の先駆けとされる作品そのもの。実際にどのような文体で書かれていたのかを、原典で確かめたい読者向けの一冊。